ランさんご結婚おめでとう

ふぇみんベトナムプロジェクトが1996年からダナン『希望の村』の支援を始め、子どもたちの成長を見つめるうちに『希望の村』卒業後の支援が新たに始まり、そうしてランさんは希望の村からの初めての留学生として2009年3月に来日しました。 ランさんは、日本に来てから学業やアルバイトに熱心に励み、就職してからは今度は自分たちが『希望の村』を支援したいと『ベトナム希望レストラン』を留学生たちで立ち上げてくれました。 ベトナム希望レストランは先日3周年を迎え、今では希望の村出身の学生だけでなく多くの仲間が手伝ってくれ、多くのお客さまに来ていただいています。 ランさんが4月に結婚され 7月10日(水)、代々木のベトナムガーデンにて「感謝の会」を開いてくれました。 二人.jpg とても仲のよいお二人、お幸せそうでした。 竹内さんスピーチその2.jpg ランさんにとても親身に寄り添ってきた里親ご夫妻のご挨拶。 ランちゃんと北村さん+.jpg ふぇみんベトナムプロジェクトの発起人とランさん ファンド設置を語る.jpg ランさんはこの日集まったご祝儀を受けて「私は自立したのでいただくわけにはいきません。未来に生まれてくる新しい命たちのためのファンドにしてこれを育てていきたいと思います」と。 ビンちゃんの挨拶.jpg 二人めの留学生だったビンさんは、お祝いのスピーチで「日本についたばかりの時、ほんとうにお世話になりました。これからの希望レストランはお任せください」と。頼もしいですね。^^ お相手がアメリカの方で、数日後にはアメリカに移住されるランさん。 いままで頑張ってくれて本当にありがとう。 お二人のお幸せを祈り、またこれからのランさんも楽しみにしています。 身体に気をつけて、海を挟んでも気持ちは一緒にいられますよう。
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アジア展、開催中

こんにちは アジア展 2012 開催中 8月11日まで 10:30~18:00 11日は 12:00~16:00 ベトナム・ダナンの養護施設「希望の村」の子供たちが刺繍やカードなどを学び、作品を製作するようになって6年がたちました。クッションカバー、枕カバー、カードや木工の作品などなど、素晴らしい作品がたくさん生まれています。 今年は岩手県、福島県の被災地の女性グループによる手作り品も寄せられています。 収益金は、ベトナム・カンボジアの子ども達と、東日本震災の被災地に送ります。
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被災地の女性グループの活動について、聞く集会が、8月6日のアジア展初日に行われました。

ホイアンの日本人女性のおみやげ店

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 ホイアン娘、こと、ゆきさんが、昨年ホイアンに開いたおみやげ店に行った。ディスプレイを変えたばかりだという店は、すっきりした感じ。ゆきさんが日本から選んできたという商品は、なかなか個性的で、面白いものがいっぱい。欧米人が買っていくという着物や日本グッズは、浅草にいるような雰囲気でもある。  「ウオッシュレットのトイレがあるんですよ」。ゆきさんのことば。ほお、ベトナムでウォッシュレットは初めてお目にかかった。(実は見てこなかったので、見てくればよかった、と後悔しています) Cool Japan in Hoian 17 Hoang Van Thu St. Hoi An Viet Nam

少数民族、カトゥ族の村

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 ふぇみんの今年のベトナムツアーが8月に行われた。今回はダナンに5泊と、滞在型型のツアーだ。そのうちの一日はダナン市の近郊にあるカトゥ族という少数民族の村への訪問。ここは日本のNGOであるFIDRが衛生、教育、農業など支援してきた村で、ここ数年、伝統的な織物の商品化を通じて村おこしをしてきた。数人の年配の女性しかできなかった織物が、今では若い女性も習い、すてきなバッグ、テーブルランナーなどを製作し、ハノイなどでも売られるようになった。生活は向上し、男尊女卑の考え方も、だいぶ変わってきたそうだ。  今後は観光客を呼ぶことを計画していて、ふぇみんがお客第1号なのだそうだ。村に着くと、大勢の人が民族衣装を着て歓迎してくれた。踊りを披露してくれ、貸衣装を用意してくれたのに、私たちは大喜びで村の人と一緒に記念写真。カトゥ族の織物は腰織といって、座って足で支えて織り、ビーズを織り込むのが特徴だ。
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 買い物後は、伝統的な食事をごちそうしてくれた。もち米、バナナの葉にもち米を包んで蒸したもの、鶏肉、タケノコの料理。デザートには、このあたりの山でこの時期にしか採れないという、木の実のチェー(ベトナムぜんざい)。ラッキー!!
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ホイアンに日本女性のUカフェオープン

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 6月1日、ベトナム、ホイアンに日本女性のUカフェがオープンした。Uカフェはレストランではあるが、貧しい子どもたちに、料理やサービスなどの職業訓練をして、自立する力をつけることを目的にしている。Uカフェを運営するUさんは、長年日本からベトナムに自転車を送る活動をしてきた。ここ数年、その活動を続けながら、カフェのオープンのために計画を練り、実行してきた。 下水道の完備していないベトナムにあって、Uカフェでは、カフェの排水をすべて微生物を使って、自前で浄化し、きれいになった水を2階、3階の池に引いている。その池には植物が育ち、魚が元気に泳いでいた。カフェで出す野菜はすべて近郊の無農薬の栽培の農家と契約するそうだ。  私が彼女にあったのは2008年のことだったが、その計画の大きさと、たった一人で行おうとする粘り強い行動力に、びっくりした。ふぇみんのツアーでも訪れたことがあった。まだまだ出発点に立ったばかりだが、今後の成功を期待している。  Uカフェはホイアンの町を流れるトゥボン川を20分ほど下ったところ。ベランダからの眺めは最高だ。
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フエの日本女性経営のホテルMIKI

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 日本人女性が経営するホテルがフエにある。昨年5月にオープンした7階建ての真新しいホテルに入ると、すらりとした女性がにこやかな笑顔で出迎えてくれた。その人がMIKIホテルの美紀さん。ベトナム人の夫と一緒に経営している。  美紀さんのベトナムとの付き合いは長い。10年ほど前、フエにある小山道夫さんのつくった「子どもの家」でのボランティア体験がその始まりだそうだ。日本で雑貨を売ったり、フリ-マーケットをして得たお金をベトナムの子どもたちに届ける活動を続けた。夫になるニャンさんに出会ったのも、フエでのボランティアの中だそうだ。ニャンさんのおばさんがホーチミンに近いビエンホアでやはり子どもたちの施設を作っており、そちらはまだ資金も人も足りず、そちらの活動の方にシフトした。  4年前に結婚し、2歳と0歳の二人の子どもの世話をしながら、ホテルの仕事をこなし、日本語も教えている。そして、ボランティアも続けている。「ベトナムの子どもを『支援』というより、自分がベトナムの子どもたちに助けられている」と語る彼女のとても深いまなざしが印象的だった。また、素敵な日本の女性に出会った。  日本で建築士の仕事をしていたという美紀さんは、このホテルも自分で設計したそうだ。玄関前のエレベーターが垢抜けており、白と木を基調にした部屋は、清潔感があると同時にくつろげる。料金も安く、ツイン27ドル  ホテルMIKI 72 Nguyen Hue Tp.Hue Viet Nam  TEL  (84) 054 388 3619  Email mikihotel@gmail.com Website mikihotel.com

念願のサパ旅行

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 今年4月に念願のサパへ行った。ハノイ発夜行列車。前にホーチミンへ列車で行った時、ガタゴト音と揺れで眠れなかったので、今回はすぐに睡眠導入剤を飲み寝てしまう。朝ラオカイ着、車でサパへ。途中、霧で景色はよく見えない。サパは夏は雨季で雨が多く、冬は寒いから、春、秋がいいと書いてあったから、4月はいいシーズンのはずだが、やはり霧や雨は多かった。でもサパに着くといい天気。一休みして、街に出かける。民族衣装を着た少数民族が店を広げている。黒モン族、赤い豪華な帽子をかぶったザオ族。観光客は欧米人ばかり。カットカットの村へ。道路からぐんぐん降りていくと、滝があり、民族音楽と踊りの小さなシアター。子どもをたくさん連れた女性がお土産を売りに来る。(写真上)ここではまだまだ結婚が早く、子沢山。帰りはだんだん田んぼの横を歩く。1メートル幅くらいの細い田んぼ。水牛に鍬を引かせている。あとは市場をぶらぶら。  翌日は車でラオチャイの村へ。村の入り口に着くと、わーとばかり村の女性たちや子どもたちに取り囲まれた。竹を切った杖を買う。5000ドン。絵葉書が欲しかったので、1つ買ったら、他の子どもたちが買って、買ってと離れない。「買わない方がいい。あの子から買って、私からはどうして買ってくれないの、と思うから」とガイドさんに言われた。どうなのだろう?難しい。  澄んだ川が流れ、緑あふれる村を歩く。とてもきれいな村だ。途中日本のNGOが作ったという小学校があった。タヴァン村に到着。ここは黒モン族の村である。午前の授業が終わって家に帰る子どもたち出会った。(写真下)  午後は町から近いハムロンの丘へのぼった。サパの町が一望できる。
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ベトナムで活躍する日本女性たち

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 国内でも素敵な女性に出会うが、海外でも活躍している女性から元気をもらう。  ホーチミンで着物工場を経営するえり子さんは、二十年ほど前、日本から初めてベトナムに着物の縫い方を教えに行った。以来ずっとベトナムで多くの優秀な縫い手を育て、着物製作に取り組んできた。現在彼女の工場では、約300人のベトナム女性たちが手仕事で一枚一枚注文に応じて着物を縫っている。日本文化としての着物をこよなく愛し、彼女自身ホーチミンでも着物をきりっと着こなし、暑さを微塵も感じさせない。えり子さんを見ていると、自然に着物を着たくなる。彼女のアシストをするのは、ベトナムの大学を卒業後日本で日本語を学んで帰国した若いベトナム女性、ホンさん。
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 ホーチミンのおしゃれなブティックアンアンanan は2008年7月にオープンした。店長は、まだ20台半ばのまり子さん。ベトナムを旅したのをきっかけにベトナムへ。1年間働きながらベトナム語を学んだ。  洗練されたデザイン、いい素材と、質の高い縫製で、ベトナム人にも外国人にも人気だ。(ベトナムで発行されている日本語情報誌「スケッチ」09年5月号に掲載されている)  
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ふぇみん泊まってシンポに参加

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アジアの女性・子どもたちの今―ベトナムとカンボジアから  2009年7月11日、12日に行われた「ふぇみん泊まってシンポ」に参加した。 会場では33人の参加者が3人の話に聞き入った。 はじめに今年3月、ふぇみんが「恵まれない子供の私費留学を支援する会」の制度を活用し招請した「希望の村」卒園のランさんの話。ランさんは幼くして両親を亡くし、長兄が弟妹の面倒を見た。9歳の時、ふぇみんが支援する「希望の村」に入所。心配のない生活ができるようになった。 医学留学生のクイさんは、「何回か枯葉剤の害が発表されたのに、米軍は大量に散布し続けた」「米政府は米兵には補償金の支払いを認めたが、ベトナム人には認めない」と憤った。 最後に国際子ども権利センター代表、甲斐田万智子さんは、女性の無権利と貧困から少女が売られる現状を、中学生が演ずる寸劇と統計から具体的に説明。人身売買を防ぐために地域のネットワークが大切。日本人男性を買春ツアーに行かせない取り組みをと訴えた。(渡辺美里)
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天秤棒で売り歩く女性たち

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 毎朝7時半ごろ、自転車でさくら日本語センターへ行く。途中何人もの女性が天秤棒の前後にくだものや野菜をぶら下げて歩いて行くのを追い越す。春にはマンゴー、夏にはドリアン、秋にはぶどう、冬にはみかん類。片方で、10キロはあるなあ。前後で20キロ。さらに秤を別に手に持っていたり。時々荷物を降ろして担ぎ換えたりする。みんな痩せた小柄な女性。(たまには背のある人もいるけど)  こうした女性を見ると、私は母を思い出す。私の母は小学校の教師だったのだが、同業であり農家の長男の父と結婚した。(昔は豊かではない家の子どもが勉強できるのは師範学校ぐらいだった。)戦後すぐ、猛烈なインフレと、義父が死に農家の働き手がいなくなり、母が仕事をやめ、農作業をせざるをえなくなった。以後の母の生活は一変した。町育ちの母は農業などやったことが無かったし、敗戦までは町に住んでいたので、農業は全く知らない。義母(私の祖母)はとてもきつい人だったし、どんなにつらかったか。時々には私も聞いたことがある。何度町の実家へ帰ろうと思ったか。でもバス代がないから、帰れなかったと。  昔の農作業はみんな手作業であり、運ぶのは天秤棒。天秤棒で収穫の芋や野菜も運ぶし、肥料にする肥えも運ぶ。母も小さい体で運んでいた。おまけに山地の農家だから、段々畑に段々田んぼ。おまけに、10年後には父は町へ単身赴任。(結局、母もその後数年後には町へ移ったとだけど)  天秤棒のくだもの売りの女性の中で、母の面影とよく似た女性に出会った。私は彼女を見かけては、くだものを買い、彼女も私を見かけると笑顔を返してくれた。最後につたないベトナム語で帰国を告げると、残念がってくれた。
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「希望の村」を作ったレ・リ・ヘイスリップさん

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 レ・リ・ヘイスリップさんは、「グローバル・ビリッジ」の10周年記念の式典で、にこやかにそして力強くこの10年を報告し、子どもたちにもプレゼントをあげた。レ・リ・ヘイスリップさんは、知っての通り、「天と地と」(オリバー・ストーンの同名の映画の原作、であり、モデル)の作者であり、戦火の後生活困難な子どもたちにために「希望の村」を作った人である。1999年に「グローバル・ビリッジ」を立ち上げ、こちらを通してもさまざまな活動を展開してきた。  その一つに、本も十分にはない田舎の小学校に図書を貸し出す活動がある。大きなボックスに入った200冊以上の子ども用図書を貸し出し、6ヶ月ごとに交換する。次々と新しい図書が手に入るわけだ。(うーんうまい方法)で、交換する時に本の読み聞かせ方とか、興味の持たせ方とか、4日ほど、小学校などを巡ってワークショップをやる。私も、折り紙と紙芝居の指導(指導なんてできないんだけれど、一応そういう触れ込みで)、ということで参加したことがあった。とてもいい経験だった。その後、何と彼女のお母さんの家に招待してくれた。  ともあれ、あれだけ多くの人を巻き込み、何かを作り上げていくというのは非常なる力、と感心する。この日も世界各国のボランティアの人が出席し、料理もちゃんとレストランからの寄付というから、すばらしい!!

ベトナムの結婚式②

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 新婦の家での儀式を終えると、車で新郎の家へ向かう。新郎の家でも、門、入り口、部屋に同じような飾りが賑々しい。ここでも祭壇で、礼拝して先祖に御報告する。参列者にちょっとした飲み物お菓子が出された。  儀式はすべて終了し、いよいよ披露宴。以前は自宅でやったのだが、最近はホテルやレストランで行うことも多くなった。新郎新婦は前もって、結婚式の招待状を印刷してもらい、それに招待者の名前を手書きし、配る。この印刷は、いわゆる謄写版を使って、1枚1枚手刷りをする。多色刷りの場合は、1色ずつ何回も刷る。これは熟練を要する仕事で、「希望の村」を出た子どものも何人か印刷の勉強をしている。招待状や賞状、布に刷るペナントのようなものも印刷しており、街の印刷やさんはなかなか繁盛している。  ベトナムの結婚披露宴は、気取らない。封筒に(何でもいい。ペラペラの航空便用の封筒なども良く使われる)普通100,000ドン(約700円)入れて、入り口で箱に入れる。ジーパン、Tシャツ姿もいる。正装している人は少ない。出欠の返事もいらないし、招待されていなくても行ってもかまわない。結婚式に昼ごはんを食べに来る、といった風情。もちろん、入り口には新郎新婦の家族や新郎が正装してお出迎えしてくれるが。ともかくお客は多い。Fさんの結婚披露宴には、450人!!  司会のことばの後、新郎新婦が入場し、両親が紹介され、新郎の父親が挨拶する。ケーキのカットはなく、グラスをピラミッド状に積み上げて、上からワインを注ぐ、ワインは順々に落ちていき、すべてのグラスが一杯になる。これは必ずある。新郎が新婦の両親にグラスを手渡し、新婦が新郎の両親にグラスを手渡し、家族がワインを飲む。儀式はこれでおしまい。来賓や上司の挨拶など全くない。あとはカラオケ大会である。お客のほうも勝手に食べて、運ばれてくる料理が終わったら、勝手に引き上げる。新郎新婦は全席を回って挨拶をし、お客が引き上げる頃になると入り口でお見送りをする。1時間半くらい。  結婚にかかる費用は、300人規模のパーティーで、50,000,000ドンぐらい(約35万円)だとか。ちゃんとした会社でも、若者の給料は、1ヶ月2,000,000ドンほどだから、かなり大変な金額になる。  大学入学時に親元を離れて、今まで一人で気ままに暮らしていたFさんは、ベトナムでの習慣に従って、これから夫の親と一緒に住む。基本的に、嫁がすべての家事をするそうだし、母親気分の私は、心配している。もちろんベトナムでは結婚しても、子どもが生まれても、女性は働いている。子どもの面倒は、夫も姑も良く見るようだ。今後どのように、折り合いをつけて暮らしていくのか。いろいろな意味で、頑張って欲しい。  
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ベトナムの結婚式①

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 同じ家で、一緒に1年半暮らしてきたベトナム人のFさんが結婚した。彼女はフエの人なので、ベトナムの伝統的なフエ式結婚式を参列させてもらった。  朝、何と5時から結婚式だという。いい日といい時間を、物知りの人(占い師)に尋ねて決めたので、この時間。新郎はダナンの人なので、朝2時に出発だという。新婦の家では、門も部屋も赤色を主体に飾って、到着を待つ。5時前、新郎側の長老が到着を告げる。縁起の品物の入った赤い盆をささげ持った、若い男性が数人。くだもの、お酒やろうそく、びんろう、おかし。用意された祭壇に供える。祭壇には仏様、先祖などを祭ってあるそうだ。向かって右側に、新婦の家族がならんで迎える中、長老を先頭に新郎の両親、家族、新郎が入って、左側に並ぶ。新婦はまだ出てこない。長老が口上を述べ、新婦の父親が返答する。やっと花嫁が登場し、新婦側に並ぶ。祭壇に向かって長老、父親、母親、新郎新婦が礼拝し、御報告する。父親が酒を飲む。新郎の母親から指輪などを着けてもらう。新郎、新婦の指輪の交換。  今度は外にしつらえた祭壇に同じように、父親、母親、新郎新婦が礼拝した。これは天の神様に、二人を結び付けてくれたお礼をするのだそうだ。フエでは、本当はこれは新郎の家で、やる儀式だそうだが、新郎の住むダナンでは、この儀式はしないので、新婦の家でやったと後から教えてもらった。  この儀式が済んで、新婦は新郎の家の人間になり、新郎側に移動する。最後に花嫁のお母さんが、金の首飾り、金の腕飾りを着けてあげる。二人とも涙ぐみ、つい私ももらい泣きしてしまう。どこでも花嫁と花嫁の母は同じだ。一人っ子なので、よけい、お母さんは寂しいだろう。  結婚披露宴では、白いウェディングドレスを着るが、結婚式には伝統的な赤いアオザイを着るそうだ。彼女のアオザイも前は赤に金の縫い取り、とてもきれいだった。彼女は美人だし、ほんとうにうっとりするくらいきれい。つい私も母親の気持ちになってしまった。  すっかり明るくなったテーブルで、お茶を飲んだり、ちょっとした食べ物をつまんだり。ここに4つ割りにしたびんろうの実と葉が置いてあった。これは結婚式には必ず出されるもので、夫婦の永遠の絆を祈るものなのだそうだ。びんろうは、おばあさんが噛んで、口の中が赤くなるあれ、だ。私も恐る恐る口に入れてみたら、案の定、渋くて口に刺激があって、出してしまった。びんろうは少し赤くなっていた。私がちゃんと食べなかったせいで、夫婦が長続きしないようなことはないと、確信する。   ベトナムはまだまだ、家父長的な所なので、長老や父親が前面に出る。次回にはこの後を。
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昔なつかしい町の物売り

 毎朝7時に、「ソバコーン」「ソバコーン」という掛け声。「バンミー・サイゴン・・(モニャ、モニャ・・)」。ベトナムでは、昔懐かしい物売りの声が、聞こえる。自転車に乗せたり、手押し車に乗せたり、天秤棒で担いだり。いろいろな物売りが路地を通っていく。「ソバコーン」というのは、「ソイ(おこわ)とバッ(とうもろこし)はコーン(いらんかねー)」という呼び声。「バンミー・・・」というのは、サイゴン風のパン。もちろん、野菜売り、くだもの売りも通る。こちらは、たいてい天秤棒で担いでいる。野菜売りは、ただ「ラウー(やさいー)」と味気ない。ブンなどの麺類やワンタンみたいなものも、天秤棒でめんつゆ、皿まで担いで売っている。  チリン、チリンと鐘を鳴らしながら行くのは、日本と同じアイスキャンディー屋。豆腐屋も行く。ただし、こちらでは絹ごし豆腐に甘いたれとレモンをかけて、おやつに食べる。  食べ物だけでなく、ほうき、ちりとり、おもちゃ、何でもある。物売りはたいてい女だが、こちらの方は男もいる。冬には肉まんを火で温めながら売っている。こちらも男。  私が子どもの頃、朝「きみえー、あさりえー」という声が聞こえた。貝売りで、「きみえー」と聞こえたのは「しじみえー」だった。いつも乳母車で魚を売りに来るおばさんがいた。(きしのおばさんと言っていた)あじとさばしか持っていなかったが、安くて新しく、「家族7人分で100円」と母が言っていた。時々小エビを持っていて、エビの皮をむいてくれながら、母と世間話をしていたのを思い出す。  ベトナムは私たち日本人にとって、懐かしい、貧しいけれど古きよき時代を思い出させてくれる。 (今、写真がアップできません。今度通信のいい時にアップします)

となりのヒエンさん料理教室

ヒエンは、一家の料理長で、料理がとても上手だ。頼んでベトナム料理も教えてくれるようになった。第一回目の料理は私が大好きなカインチュア(甘酸っぱスープ)。 一緒に近くの市場に行き、新鮮な魚や野菜を仕入れてくる。魚は生きているのを、店のおばさんが出刃包丁で頭をちょん。血が飛び散って、こちらにかかってくる勢いだ。けっこう大きい魚で(多分雷魚のようなもの、名前は??)、頭を切られても、ぴょんぴょんはねていたが、内臓をかき出され、息絶えた。 わが家の台所は水道の蛇口や洗い場がないのだが、となりにトイレとともに水場があり、私たちはそこで食材をあらって、台所で、調理する。ところが、ヒエンはその水場に腰を下ろし、まな板もないまま調理をはじめた。そういえばベトナムの古い家はみなこのように調理を行っているのだから、なんの不思議もないのだが、わが家のこの黒光りする古すぎるタイルの上で調理するとは思いもよらなかった。 たいがいの食材は手の上で見事にスライスしていく。まな板を使ったのは、魚を切るときとニンニクをみじん切りにする時だけだった。 それから、鍋で食材を煮ていくが、タマリンドウという木の実を入れるのがこの料理の命。あの、酸っぱい素がここにあったとは知らなかった。しかも、タマリンドウを鍋に入れるのではなく、なべのスープをタマリンドウを入れた器に戻し、そのエキスをスープに取り出して、鍋に戻すという手順である。 ともかく、酸っぱからず、甘からず極上のカインチュアを食することができた。 これは、ぜひに日本に帰って、皆さんにふるまいたい。最も、私は食材を洗う担当で、あとはノートをとったり、写真をとったりで、ほとんど見ていただけ。実際、作れるのかしらん?
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ヒエンさんと良子はん、市場で
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左どなり家のヒエンは50歳の女性。出入りの道がわが家とは違うので、はじめは塀の穴のような所からヒエンが話しかけてきて、その穴から見える美しい目だけしかわからない人だった。いつの間にか私のベトナム語の先生になり、週に2~3回わが家にやって、2時間はたっぷりベトナム語を教えてくれる。それから、ヒエンのバイクの後ろに乗って、ダナンの街をドライブしたり、友人の家に遊びに行ったり、ご飯を食べたり、チェ(ベトナムぜんざい)をデザートしたり。 私が休みの日には、ヒエンが作った昼食を差しいれてくれる。はじめは隣から大声がするので何かと思ったら、お盆の上にご飯、スープ、肉料理をのせて塀の上から
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さしだすではないか。それが、休みの日の恒例になってしまった。 ヒエンは30年ほど前にボートピープルとして、小さな小舟に乗って、この国を離れたことがあるが、台風に遭い、脱出に失敗、公安に捕まった経験があるという。 今ヒエンは仕事に恵まれないが、その脱出事件に無関係ではないらしいのが、この国の事情のようだ。