「希望の村」の子供たちがさくらフレンズカフェくる

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 さくらフレンズカフェができてから、「希望の村」の子供たちは、1部屋ずつ1ヶ月に1回訪問する。「希望の村」の子供たちは、家族にどこか連れて行ってもらう経験もほとんどなく、外の世界を知る機会が少ない。そんな子供たちにタクシーに乗る経験、日本食を食べる経験、卒業生が働いている姿を見る経験などをしてもらいたく、実施している。  この日は女子たちが8人、ちょっと緊張してやってきた。でも出されたスプライト、コーラを飲んで、並べられたしょうが焼き、とんかつ、やきそば、のりまき、お好み焼きを嬉しそうに、全部たいらげた。おいしそうに食べてくれるのを見るのは、嬉しいものだ。  いろいろお話をしてから、庭やさくら学校の建物などを珍しそうに見て、満足した様子で、またタクシーに乗って帰っていった。「希望の村」に帰って、友達にどんな話をするのだろうか。

「希望の村」卒業生のチャンくん、結婚

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「希望の村」で木工を教えてくれているチャンくんが4月22日(日)、結婚しました。この日は日取りがいいらしくて、ハン側沿いの結婚式場は、出席するバイクが道路にいっぱい。バイク置き場はずらーっとバイクが埋め尽くしている。チャンくんの結婚式には、「希望の村」の職員や、卒業生をはじめ、ブレッド・オブ・ライフの人たち、そこと親しい欧米人、彼女の関係者、300人以上の参加者でした。人懐っこい彼の人柄を示していますね。  私が彼にあったのは2000年でした。初めて参加したツアーの時、舞台で手品をやって、昼食時に入ったのは彼のいるファミリーでした。そこでもう一度やって、とせがまれて、もう一度やったら、彼にネタがばれてしまいました。(やはり手品は一度だけ、という鉄則は正しい)。次に、「希望の村」に行ったのは2006年だったのですが、その時に彼に再会し、お互いによく覚えていて、お互いに喜び合いました。  ここで、「希望の村」で日本語を教えてくれているLyさん(7月に結婚します)と婚約者、先日里親ツアーの時にお会いした、Nhoさんなどにお会いしました。
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里親ツアー 最終日 Vinhさんの施設

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 2010年の「ふぇみん希望の村支援15周年」集会の時、お会いした グェン・テ・ヴィンさんの奏でるチン・コン・ソンに、私たちはすっかり魅了されて、昨年8月のツアー時にホーチミンまで来ていただき、秋にはJVPFのコンサートに駆けつけた。彼が恵まれない子達の施設を作ったという話を聞き、今回はその施設の訪問となった。施設「フーン・ドゥーン」は、ホーチミンから北に1時間半、ビンドゥン省にある。門には「ウエルカム フェミン」の横断幕が張られ、生徒たちが出迎えてくれた。ヴィンさんの説明、生徒たちの話を聞き、ヴィンさんのギター演奏。何度聴いても、彼の「美しい昔」は心を打つ。生徒たちはもっとテンポのいい今の歌が好きなので、「僕の演奏は拷問です。」とおどけていた。
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 ここには障害のある子も数人いて、今回里親の有志がこの電動車いすを寄付してくれた。  偶然にも、今日本で勉強しているランさんのお兄さんがここで食堂を営んでいることを知って、お兄さんの店で昼食をいただいた。お兄さんはものすごーいご馳走をしてくれて申し訳なかった・・・・  ヴィンさんの施設の子は昨年16人が大学に入学し、うち数人が今度朝日新聞の奨学生として日本へ行く予定だそうだ。帰りはホーチミンの大学に戻るその学生たちもバスに同乗し、日本語でのおしゃべりにはながさき、あっという間に着いた。  初めてのツアー参加者も3人いて楽しいツアーでした。
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里親ツアー ④ ホーチミンのレストランKOTO

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 KOTOは、ベトナム系オーストラリア人のJimmy Phamさんが作った職業訓練をするためのレストランだ。ハノイで始め、2010年ホーチミンにもオープンした。料理の盛り付けがとてもきれいで、思わず写真を撮りたくなる。「希望の村」の子供たちも今3人ここで訓練を受けている。2年の訓練が終わると、KOTOのレストランや他のレストランで研修をして、就職する。  その理念がすばらしい。「ここに入らないと、悪いことをしそうな子から入れる」という。普通は、「やる気のある子」を優先するが。多くの子どもたちは、経済的、人的な家庭環境などの影響で、夢を持てない。入学したら、まず5つ星のレストランを見学させ、自分の将来が描けるようにする。しばらくして、自分の夢を書いて空だったビンに詰めて入り口に置く。これが大事なセレモニー。卒業までこの「夢のビン」を飾り、毎日登校する子供を励ます。  KOTOとは Know One Teach One の頭文字だという。  住所 151A Hai Ba Trung Quan 3 Ho Chi Minh  電話 08-377 385 77  
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里親ツアー② ダナンの施設訪問

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 ツアー2日目はダナン市内のいろいろな施設を訪問した。写真はストリートの施設。1991年設立。最初はストリートチルドレンの施設だったが、今は生活困難な家庭の子供の施設が、4箇所あり合計150人生活している。1箇所を訪ねたが、小ぢんまりした施設で、1階に食堂、台所、勉強室、2階が居室になっている。小さい時は男女一緒、大きくなると男女別の施設に移るそうだ。自宅で奨学金をもらっている子供も450人いて、30人を日本の山口大学の学生が支援しているそうだ。縫製、ししゅう、コンピューターなどの職業訓練も行っている(写真)が、やはりなかなか給料のいい職業に結びつかないのが現状だ。  次にアメリカが支援している職業訓練校。ハノイに本部があり、ダナンには最近できたそうだ。「希望の村」の卒業生も昨年4人入り、飲み物作りの訓練を4ヶ月受けて、今レストランで働いている。ここではきちんと就職を斡旋し、就職後も様子を見に行くなどするそうだ。ベトナムには珍しくきめ細かい。  最後は盲学校。「希望の村」在籍のハウ君が、ここで学んでいるということもあって、訪問した。ここでは音楽教育に力を入れていて、はじめに子どもたちが演奏してくれた。ハウ君と里親との初めての対面。彼は里親の手をとって、どこか行くと思ったら、自分の部屋を見せたかったらしい。里親が手渡したハーモニカを嬉しそうに何度も吹いた。
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「希望の村」里親ツアー20012

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 2012年の希望の村を訪ねる里親ツアーが行われました。3月24日成田・関西空港出発、夜ダナン着、子供たちが花を持って迎えに来てくれた。25日にはさっそく「希望の村」を訪問。挨拶の後、ししゅう、木工、カード作りなど子どもたちの活動を見学した。次に今回のテーマである「自立支援現状」についての報告会が行われた。里親たちにふぇみんによる自立支援の成果を知ってもらうとともに、在園中の子どもに、先輩の卒園後の進学先や働いている様子などを知ることにより、自分の将来を描きやすくし、夢を持ってもらいたいという思いからである。竹内さん、加堂さんが撮りためた写真や動画を子どもたちは熱心に見入っていた。ダナン大学の学生さんによる手話通訳が導入できたので、聾の子どもたちにもわかりやすかったと思う。  
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 いつものように、子どもたちと里親たちの歌や踊りのあと、各部屋で昼食。普段より豪華な昼食とあって子どもたちもうれしそうに、もりもり食べ、後はお菓子を食べながら話をしたり(さくら日本語学校の生徒さんが通訳してくれる)ゲームをしたりして、ひと時を楽しんだ。  午後は、最近来てもらっている体育専門の若者のリードでみんなで外で遊んだ。子どもたちが生き生きと走り回っている様子を見て、私たち里親は満足でした。
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「希望の村」でのワークショップ

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 今回のツアーは「希望の村」でのワークショップがメイン。もともとこれをやるために「滞在型ツアー」にしようということになった。里親の皆様は多彩な特技や趣味を持っている。それを生かして子どもたちに教えたり、一緒に楽しんでもらおうというもの。「編み物」「絵手紙」「笑いヨガ」「沖縄舞踊エイサー」「日本の歌」「和太鼓」「ベトナムの踊り」「サッカー」、午前2時間、午後2時間、ずっと通しで同じ子供が参加しているグループもあったし、午前と午後で参加する子どもがいれかわったグループもあった。編み物は一番熱心で翌日も続けた。どのワークショップも楽しそうに、そして熱心に活動していた。  最後には全員がホールに集まって、発表会をし、作品や踊り、歌などをみんなの前で披露した。
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ダンボールでパーランク(沖縄エイサーの太鼓)作り
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「希望の村」も夏休みー帰り支度

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 6月から8月まで、「希望の村」も夏休みで、多くの子どもは自宅へ帰る。(親がいない場合には親戚のうち等に帰る)小学生と聴覚障害のある子は、6、7月、2ヶ月。その他の子達は交代で1ヶ月。勉強等で帰らない子もいる。8月には新学期の準備等で、みんなまた戻ってくる。そしてまた新しい子どもたちが入ってくる。  5月末に行くと、子どもたちは大掃除をしていた。みんなで窓拭きをしたり、毛布を洗って、屋根の上に放り上げて 干しているのには、びっくり。こういう生活力はすごーい。私たちは文明化されていて、何でもお金を出してやってもらったり、何か壊れたりすると、困ってしまうが、ベトナムの人たちは、全く動じず、適当に修理して使ってしまう。まあまあ、のいい所だ。

「希望の村」の日本語はLyさんにバトンタッチ

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 日本人駐在員がいない時、長くビンさんが日本語の授業をやってくれていたが、今年2月末から、Ly(りー)さんにバトンタッチした。リーさんは2008年に高校を卒業し、職業専門学校でガイド(3年制)の勉強している。日本語は在園中から勉強し、さくら日本語学校で3年間勉強した。今、月曜日から土曜日まで、会社で研修し、週3日夜さくらで勉強しながら、日曜日の午前中3時間「希望の村」で日本語を教えてくれている。もうじき、卒業し、就職予定だが、「大丈夫です。日曜日は仕事がないし、教えるが好きだから」とうれしいことを言ってくれる。教え方もなかなかなものです。安井さんがテキストを作っておいてくれたのがとても助かっている。  
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若者たちが引越しを手伝ってくれました

 
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 前の家が5月末で契約が切れた。5月の初めに、「更新したいが、どうか」と、問い合わせたところ、1,5倍の値上げを要求された。高すぎるので、他を探したが、近場ではどうしても見つからない。仕方なく、1,5倍の値上げに応じることにしたが、今度は「売るから、貸さない」と。いよいよホームレスか?でも、捨てる神あれば、拾う神あり、で、何とか近場に見つけてくれた。決まったのが、28日(土)の夕方。30日(月)に契約することにした。しかし、水周りが、あまりにも古くて不便なので、改修してもらうことにした。工事に3日かかるという。それで、3日だけいてもいいか、と聞いたら、3日分家賃を払うように、言われた。(当たり前と言えば、当たり前なのだけれど・・)で、急遽、31日に引越すことにした。  そうしたら、Binhさんが、カフェのスタッフ全員に招集を掛けてくれた。2時、引越しの時間には、一隊列でバイクで前の家へ向かった。2階から荷物を下ろし、二人一組でバイクでがんがん運んでくれた。私はただただ、見とれているばかり。大物は隣のおじさんのシクロを頼んであったのに、待てど暮らせど来ない。聞くと、どこか出かけていないと。あらあら・・。家の近所の人に聞いて、新たにシクロを頼んだ。3回往復して、終了。一緒に行って、びっくり。家の前は道が狭くて、シクロが入らない。洗濯機も、冷蔵庫も人力で運んだと。私は、スタッフにただただ感謝、感謝。4時には終わった。私は、ベトナムの若者たちの行動力と親切に、ただただ感謝、感謝、感激、感激。

修了式はお土産つき

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 5月末は小学校、中学校の修了式。朝6時から、賑やかな歌や踊りが始まる。帰りには賞状やお菓子などのお土産つき。写真はさくら日本語センターの後ろの小学校。8時には帰る子どもでいっぱい。迎えに来た親のバイクで帰る子も。これから約3ヶ月の長い夏休みが始まる。でも最近は夏休みを短くして、勉強をさせるようになってきているそうだ。
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日本式保育園オープン

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 ダナンに日本式保育園が昨年オープンした。日本式って?どういうのだろう。見学に行ってみると、私たち日本人にはおなじみの光景。玄関に靴箱が並び、すぐホールがあり、もうじきあるという運動会の練習で、10人くらいの子が太鼓をたたいていた。2階には2歳児。月齢で3クラスに分かれていた。3階にもいくつか教室があり、4歳児が20人くらい、粘土で動物等を作っていた。奥の壁は、うさぎなど森が描かれていた。日本で美術の教師をしていたという日本人女性が、描いたそうだ。彼女は今ここで働いている。隣の教室の壁は海だった。元は、ただの殺風景な壁だったと言う。隣の教室では昼ごはんの準備をしていた。先生が、子どもに応じて、やわらかいご飯と柔らかいおかず、おかゆと潰したおかず、の2種類を食器に盛り分けていた。4階には調理室があり、子どもの食べる食材は、衛生的なものを厳選し、割高になるそうだ。  園長のハン先生は東京の保育園で7年、新潟で5年働いていた。ベトナム式保育園というのが、私には良く分からないから、何ともいえないのだが、ハン先生がいうには、先ほどの食事のように、子どもの食べる力に応じた細かい食事に見られるように、その子に応じた教育や、情操教育、その他子どもを育てるカリキュラムをしっかり作っている。多くの保育園では朝、昼、晩、3食食べさせるそうだが、ここでは、夜は基本的に家で食べさせてください、と言っているそうだ。こうしたやり方に文句を言う親もいると、ハン先生はこぼしていた。園長室はなく、入口に机を置いて、園長は来客等の対応もしていて、超多忙だそうだ。  保育料は高く、普通の2~3倍のようだ。それでも1年で100人以上が通っている。
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子どもたちの刺しゅう

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 「希望の村」で「ふぇみん」がししゅうの訓練を始めて、5年になる。習っているのは聴覚障がいの女の子たち。とても上手になった。先生は他でもろう児に刺しゅうを教えていたニュー先生。週3回、とても熱心に教えてくれるし、子どもたちも大好きだ。ステッチから始めて、ハンカチ、袋、まくらカバーなど。写真は新製品の座布団カバー、クッションカバー、タオル地のハンカチ。刺しゅう糸は日本から運ぶ。里親さんや友人たちから、大量の刺しゅう糸を寄付してくださり、感謝している。出来上がった刺しゅう製品は、日本で売って、売り上げを子どもたちに還元している。今まで、スポーツ用品や飾りだな、子どもたちのお菓子、などになった。卒業生がホイアンの店でししゅうなどして働いている。
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「希望の村」の子どもたちの作ったカード

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 私たち、ふぇみんベトナムプロジェクトが「希望の村」の子どもたちの自立支援を始めて、約5年になる。カード作りhその一つ。聴覚障がいのある子どもたちを中心に、カード作りを習っている。先生は勉強も教えているタン先生。センスもよく、とても上手になっている。子どもたちは毎年、里親にクリスマスカード(または新年カード)をおくっている。今年ももうすぐ送られる予定だ。また、5月のあじあ展や12月のふぇみんのバザーなどでも売っている。  写真は来年の干支にちなんでうさぎのカード。ベトナムにも干支があるが、中国と同じく、うさぎはなく、代わりに猫。いのししも豚である。
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ベトナムを聞くーお話とコンサート(その1)

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 ふぇみんが「希望の村」支援を初めて、今年で15年。11月7日(日)東京ウィメンズプラザホールで、講演・コンサートが開かれた。こちらもちょうど15年になる日本ベトナム平和友好連絡会議の枯葉剤被害者支援コンサートとジョイントし、共催した。  看板も、映像も手作りのアットホームな雰囲気野中で、来場者みんなが楽しく、参加してくれたと思う。補助椅子も使い、ほぼ満席になり、帰りにはお客さまから、口々に「とても良かった」というお言葉をいただき、実行委員一同胸を熱くした。  ふぇみん婦人民主クラブ代表の挨拶から始まり、「希望の村」支援15年の歩みを、映像を見せながら、この支援を開始したKさんが話した。後から加わった私にも、15年間の積み重ねを改めて感じることができた。次に、ベトナムの農村研究をしている、岩井美佐紀さんの講演。ベトナム経済がグローバル化していく中で、農村女性が台湾等諸外国へ「おしん」(家政婦)として、働きに行ったり、嫁に行ったり、都市に市場での荷物担ぎなど出稼ぎに行く状況が広範に見られる。「希望の村」の子どもたちの家族をとりまく背景がよく分かる。  当事者の視点に立つこと、子どもたちの出身地の村や家族たちとのかかわりを持つことなど今後の支援のあり方を示唆された。
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11月7日 ベトナム お話とコンサート

 「ふぇみん」が「希望の村」の支援を始めて、今年は15年になる。1995年6月、「ふぇみん」はベトナム戦争終結20周年を記念して、講演会を持った。講演者はベトナム戦争を女性・農民の立場で書いた『天と地』の著者レ・リ・ヘイスリップさん。その時、レ・リさんが戦争の傷跡に苦しんでいるベトナムの人々を救済するため病院と養護施設を創設していることを知った。これがきっかけで、96年「希望の村」の子どもたちの里親になる形での支援活動が始まった。  単にお金の支援ではなく、里子里親の人間としての結びつきを大切にし、そのため手紙のやり取り、里子に会いに行くツアーなどを行ってきた。地縁血縁の色濃いベトナム社会にあって、卒業後子どもたちが自力で生きて行ける力をつけるための、自立支援に力を入れるために、2006年からダナンに駐在員を送るようになった。卒業後の大学、専門学校進学、職業訓練、「希望の村」内における職業訓練など、様々な形の自立支援は100人を超えている。  この15周年を記念して、講演・コンサートを開催する。収益金は日本ベトナム平和友好連絡会議を通じて枯葉剤被害者支援に使われる。 日時 11月7日(日) 12時半開場 1時開演 4時10分終演 場所 東京ウィメンズプラザ 渋谷駅12分 地下鉄銀座線、半蔵門線、千代田線、表参道駅B2出口 7分 内容 映像で見る「希望の村」支援15年の歩み     ベトナムグローバル時代の光と影ー女性と子どもたちの今           岩井美佐紀さん(神田外語大、ベトナム農村研究)     コンサート  ベトナム民族音楽、チンコンソンの音楽 チケット 2500円(前売り2000円) 問い合わせ  ふぇみん婦人民主クラブ TEL 03-3402-3244 FAX 03-3401-3453

「希望の村」の子どもたちと遊ぶ

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 ふぇみんベトナム駐在員の仕事の一つは、日曜日に子どもたちの部屋を訪問して、遊んだり、インタビューして子どもたちの様子を里親に知らせること。約150人の子どもたちは、男女別にファミリーと呼ばれる部屋で共同生活をする。6歳から、卒園する18歳までの子どもが一緒に生活する。自然に大きい子が小さい子の面倒を見ている。耳の聞こえる子も、聞こえない子も一緒に生活しているから、聞こえる子も、自然に簡単な手話も覚える。庭では、大きい子も小さい子も一緒にボール遊びやビー玉をやるという、日本ではもう見られない光景が自然にある。  駐在員は、日曜日の朝、日本語クラスで日本語を教え、昼食を一緒にとり、1つのファミリーを訪問する。1日1ファミリー、おおむね1週おきに訪問する。部屋のリーダーが子どもたちを集め、駐在員が行くと、誰かがちゃんとコップに水を運んでくれる。お菓子を食べながら、いろいろ聞いたり、個別にインタビューしたりする。  この日の遊びは、ボーリングと切り紙遊び(写真)。この真剣な顔。ベトナムの子どもはとても器用で、折り紙等、こういった作業は得意だ。(Y)
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ベトナムでは9月から新学期です

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約2ヶ月の長い夏休みが終わって子ども達は学校に戻り始めました。夏休みがいつ終わって新学期はいつからなのか、それが8月半ばになってもはっきりしない、というのにまず驚きました。テレビや新聞で告知するから、というのですがビン所長も副所長も知らないのです。ただ、始業式は毎年9月5日と決まっているそうです。数年前までは学校の授業はそれからということになっていたが、最近では始業式を待たずに授業をするところがほとんど、とのこと。小学校が2部制をやめて1日の学習にしたことも、教育熱の高まりに押されてのことかもしれません。 今年は9月5日は日曜なので始業式は月曜の6日に行われました少しばかり緊張した面持ちで学校に向かう子ども達を見るのはいいものです。小・中学生は白のシャツブラウスに赤いスカーフ、下は紺のズボン。女子高校生は白いアオザイが制服。現在は月曜と金曜だけ着ればいいそうです。皆スラリとしているので良く似合って素敵です。遠い場合は自転車で二人乗り。  一方、聾唖の子達は、VOHの中の教室で授業を受けます(写真)。午前と午後の2部制。同じ村の中ですが、教室へ行くときは皆他の子と同じように白いシャツブラウスと紺のズボンに着替えて行きます。スカーフはなし。授業もちょっと見せてもらいました。(Y)
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ドンナイ聾学校へ入学した子どもたち

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 マン君とホンさんは、今年「希望の村」の小学校を卒業して、7月からドンナイ聾学校の中学校へ入学した。私たちは8月17日に同学校を訪問した。今年入学した8人は、まず3ヶ月間、手話でコミュニケーションするための学習が行われる。朝7時半から昼食2時間をはさんで、夕方4時半までびっしり勉強する。その後中学の学科ー国語、数学、歴史、地理、化学、物理、英語、といった普通の教科とIT関係、調理、バーテンダー(お酒を飲ませるところは騒がしいけれど、聞こえないから騒音に邪魔されず、仕事ができるとか)造花、化粧、などの職業訓練もあるそうだ。  他のクラスの授業も見せてもらった。生徒数は4人だったり、12人だったり、さまざまだが、皆食い入るように先生の手話を身、黒板を見、ノートを取り、そして級友のプレゼンテーションを見ている。音は全くないのに、熱意と意欲があふれている教室ばかりだった。(写真)  授業を見学後、日本語ーベトナム語ー手話ーベトナム語ー日本語とベトナム語の通訳さんと、聾学校の先生の手話通訳を介して、ホンさん、マン君の話を聞いた。二人ともとても生き生きしていて、「勉強が良くわかって楽しい、本や新聞も読んで、意味が良くわかるようになった。」「将来は先生になって、ダナンに戻って、同じような子どもたちを教えたい」と語った。(Y)
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ドンナイ聾学校の中学校へ進学

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 今年「希望の村」を卒業したろう児のホンさんとマン君が、ドンナイ聾学校の中学校へ進学した。「希望の村」には耳の聞こえない子どもたちが40人近く勉強しているが、小学校しかなく(ベトナム全土でも中学校はほとんどない) 小学校の勉強を終えたあと、ししゅう、絵、木工など、その自立支援に私たちは努力をしてきたが、今年初めて中学校へ進学させることができた。  ドンナイ聾学校はホーチミン市の隣のドンナイ省のビエンホアにあり、ドンナイ師範学校の校舎内にある。アメリカ人のをウッドワード博士が指導し、日本財団が支援し、完璧に手話(もちろんベトナム手話)で授業を行う先進的な学校である。中学校、高校、さらに教師を養成する短大(専門学校?ベトナムでは区別はなく、2年制をチュンカップ、3年制をカオダンという)も持っている。  私は、前に里親さんに見せてもらったろう者の専門紙でこの学校のことを知り、2008年1月に初めて訪問して、驚いた。聾教育には全く無知だった私は「ベトナム語とベトナム手話は、全く別言語」というウッドワード博士の言葉に目からうろこが落ちる思いだった。「ろう者の第一言語は手話」というその里親さんの言葉と重なって、ようやく理解できた。今年8月、ドンナイ聾学校を訪問して、ホンさん、マン君の勉強する様子や、他のクラスの勉強も見せていただいた。
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ろう児が通う美容学校

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 障がい児も受け入れる美容学校ができ、「希望の村」のろう児が通っている。サイゴン・ビューティー・カレッジ。4階建てのきれいな建物で、髪のカットや染色を含む理美容コースとネイルコースがある。ネイルコースにも一人ろう児がいるそうだ。家庭の事情によっては労働局が半分援助してくれるそうだ。半額で356万ドン(現在のレートでは約1万6千円)教材費が同額ほどかかるが。午前か午後4時間ずつ週3日で6ヶ月、週4回で4ヶ月で終了するそうだ。ダット君はまだ17歳だから、まだ「希望の村」を出なくてもいいのだが、理容師になりたくて、自ら退所を希望した。(Y) そういえば、日本でも昔からろう者の理美容師がいて、私の友達の両親がそうであったことを思いました。(M)
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「希望の村」料理教室

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 8月4日水曜日、「希望の村」の料理教室におじゃましました。夏休みに退屈している子どもたちのために希望者を募って、週2回9:00から11:00まで行っているとのこと。11人が参加。私たちもごちそうになりました。皆、甲斐甲斐しく働いて、料理もおいしかったですよ。皿洗いのやり方は、日本とは違います。(Y)
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Yさんの「希望の村」日本語クラス 

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 今、Yさんがダナンに駐在しています。Yさんからの報告です。日本は猛暑が続いてるようですね。こちらも暑さは相変わらずで、自分の汗臭さに毎日ムムッとしています。こちらに来てからようやく一月とちょっと過ぎました。まだ夏休み中なので希望の村はがらんとしていてファミリー訪問もできないのですが、現在一番楽しく充実しているのが、日本語教室です。  塾に行ってる子どももいてその子や他の子ども達の都合をすり合わせて、先々週から水・金・日を火・木・土に変えてやはり週3日行っています。初めて日本語を勉強する子、もしくは、ちょっとやったことがあるけど忘れてしまった子達のクラスを追加したので、それが8:00~9:10くらいまで。5~10分休憩して、継続して学習しているちょっと大きい子達のクラスを10:30まで教えています。  先のほうのクラスは5人で定着しています。  宿題や文型練習の課題に、よくできました、と赤ペンで○をつけると素直に喜ぶところがとてもかわいい。点数をつけてほしいようだったので、じゃ次の時間は小テストをします、と言ったら、真剣にひらがな表などを見始めたところなど、どこの子ども達も変わらないな、と思います。  17歳のクラスは3人です。3人とも打てば響くような感じで、授業はどんどん進みます。 明日からはいよいよ動詞文に入ります。夏休みが終わると今の、いってみれば臨時の日本語クラスはひとまず終了し、新たに募集しクラスを作ることになるので、終わるのが寂しくもあります。(Y)
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念願のサパ旅行

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 今年4月に念願のサパへ行った。ハノイ発夜行列車。前にホーチミンへ列車で行った時、ガタゴト音と揺れで眠れなかったので、今回はすぐに睡眠導入剤を飲み寝てしまう。朝ラオカイ着、車でサパへ。途中、霧で景色はよく見えない。サパは夏は雨季で雨が多く、冬は寒いから、春、秋がいいと書いてあったから、4月はいいシーズンのはずだが、やはり霧や雨は多かった。でもサパに着くといい天気。一休みして、街に出かける。民族衣装を着た少数民族が店を広げている。黒モン族、赤い豪華な帽子をかぶったザオ族。観光客は欧米人ばかり。カットカットの村へ。道路からぐんぐん降りていくと、滝があり、民族音楽と踊りの小さなシアター。子どもをたくさん連れた女性がお土産を売りに来る。(写真上)ここではまだまだ結婚が早く、子沢山。帰りはだんだん田んぼの横を歩く。1メートル幅くらいの細い田んぼ。水牛に鍬を引かせている。あとは市場をぶらぶら。  翌日は車でラオチャイの村へ。村の入り口に着くと、わーとばかり村の女性たちや子どもたちに取り囲まれた。竹を切った杖を買う。5000ドン。絵葉書が欲しかったので、1つ買ったら、他の子どもたちが買って、買ってと離れない。「買わない方がいい。あの子から買って、私からはどうして買ってくれないの、と思うから」とガイドさんに言われた。どうなのだろう?難しい。  澄んだ川が流れ、緑あふれる村を歩く。とてもきれいな村だ。途中日本のNGOが作ったという小学校があった。タヴァン村に到着。ここは黒モン族の村である。午前の授業が終わって家に帰る子どもたち出会った。(写真下)  午後は町から近いハムロンの丘へのぼった。サパの町が一望できる。
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「希望の村」の午後、夜

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 前に「希望の村」の朝を書きましたので、今度は午後の様子を紹介します。日本人と違って、ベトナム人の習慣は、長い昼休みがあります。午後元気に勉強できるように、長男、長女が自分の部屋の子を12時から1時間ぐらい寝かせます。午後1時30分から4時30分くらいまでは、「希望の村」で訓練を受けている子は、木工、刺繍、コンピューター、縫製のクラスに行く時間です。(その訓練は誰で設けられますが、特に聴覚障がいの子は、とてもいいチャンスです。希望の村を出たら、こんな訓練はあまりなくて、一人で生活するのはいろいろ大変です。それで、手に職をつけるのはいいですね。  夕方は、一日中いろいろ活動をしたので、健康のためにも、運動をします。サッカーやバドミントンやピンポンや縄跳びをすることが大好きです。この時間も植物の水遣りをします。夕食は6時からです。ご飯を終えたら、遊んだり、テレビを見たりしてもいいのですが、7時から9時まで、翌日の勉強の準備をしなければなりません。中学校4年生と高校3年生にとって、これから大切な試験があるので、この時間には外から来た先生がもう一度詳しく教えてくれます。たとえば、数学や物理や外国語の問題を説明してくれたりします。9字から寝る時間になりますが、勉強がまだ終わらなかったら、続けてもいいです。(現地スタッフ、タオ、写真も)(ところが、最近寄付金が減って、あまり先生を雇えなくなってしまいました、渡辺)
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ベトナムからの留学生たち

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 ベトナムからの留学生たちとふぇみん里親たち、総勢約20人が集まり、誕生会が開かれた。  様々な留学生たちがいる。Aさんは、ベトナムにいた時に日本の文部省の奨学金を得て来日、1年の日本語学習の後、希望の大学で勉強し、さらに大学院で勉強している学生。今修士の2年生だが、すでに一流日本企業への就職が内定してる。ベトナムにはまだ自分たちを生かしてくれる職場がないと、嘆く。Bさんは、新聞奨学生として来日し、朝夕刊の配達し、日本語学校で日本語を勉強している。仕事は大変だけれど、来日費用、授業料、を出してもらい、宿舎もあり、給料がもらえるから、大学へ進学のための貯金ができる。冬の寒さはつらかったけれど、仕事にももう慣れた、と言う。Cさんは2年の新聞奨学生を経て、今大学生になった。でも、日本人の大学生は勉強せず、授業中うるさいと、嘆いていた。Dさんは両親が死亡、養護施設「希望の村」で育った。ベトナムガーデンのオーナーが資金を集めて始めた「貧しい子のための奨学金制度」から当初の費用を借りて来日し、今、日本語学校で日本語を勉強している。あちこちでアルバイトをしながら、来年は大学入学を目指して、勉強している。留学試験の「総合」は難しいと、言う。日常の日本語には不自由しないけれど、なにせ、日本の政治、経済、社会など、日本の子どもなら当たり前に知っていることを、一から勉強しなければならないのだから。  アジアからの外国人に、必ずしも暖かいとはいえない日本人の中で、そして生活費が10倍もかかる日本での生活は厳しい。でも若者らしく、明るいベトナム留学生との交流をふぇみんのおばさんたちは(おじさんも)楽しんだ。
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賑やかお昼ご飯

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 短期駐在のIさんからの報告です。 ある日、7人の卒業生たちが集まりました。「希望の村」出身の子どもたちは、「貧しい」というお墨付きを得ているので、専門学校などでは、学費を免除する制度がありますが、ない場合もあります。今年は殆どの子どもは免除を受けられたようです。ちゃんと手続きはとっているな、なんてこちらのチェックも入ります。事務所でお菓子や果物を食べて、雑談して帰る、といういつものパターンを変えてみようと、子どもたちに「お菓子食べるより、何したい?」と聞くと「ご飯食べたい!」と意見がまとまり、それではと、近くの食堂に出かけました。  自転車とバイクで行った所は、事務所から5分ほどの路地を入った建物の1 階。日本なら駐車場になりそうなコンクリートじきの鍋料理屋さん。出てきたものは、魚を縦にぶつ切りした切り身、牛肉、海老、いか、野菜、もやし、唐辛子、あと名前がわからない葉っぱ。はじめは、乙女の恥じらいで「ぱくぱく食べるのって恥ずかしい」と言っていた子が、その後はもうご覧のとおり。これは実際を見てもらうほかないと思い、写真はそのときの食べっぷりの証拠。そして、「わぁー、お腹いっぱい。自転車こげないよ、誰かこいでぇ。」となりました。 それを見てタオさんも私も満足げ。9人でお腹いっぱいたべて、しめて285,000ドン(約1,400円、一人あたり150円)。私も久しぶりに大騒ぎしながらのお昼でした。
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今、アジア展を開催中

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 アジアの国々からやってきた素敵な雑貨が会場にいっぱい。刺繍入りバッグ、水牛のスプーン、サンダル、肌触り抜群の綿の服など。アジアングッズに魅せられてみませんか。今年もベトナム・ダナンの養護児童施設「希望の村」の子どもたちが製作した刺繍入り枕カバー、カードなど、心のこもった作品を展示・販売しています。収益金は「希望の村」とカンボジアなどアジアの子どもたちの支援のために送ります。ペシャワール会(中村哲さんらのアフガニスタンでの活動)の写真展示もあります。どうぞ、みなさん、お誘い合わせの上、ご来場ください。 日時  6月7日(月)~6月12日(土) 10時30分~18時30分 6月12日は12時から16時まで 場所  アートかれん・ギャラリーかれん      横浜市港北区太尾町95-2 (TEL、FAX 045-543-3577)      東急東横線大倉山下車 駅出てすぐ前のバス通りを左へ徒歩2分、左側) 主催  アジアンぐらす21 ふぇみんシンチャオの会 ふぇみんベトナムプロジェクト(TEL 03-3402-3244)
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食器が新しくなりました

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希望の村が創立されてから、今までご飯の時,食器は、1つのプラスチックの器で食べていました。(ベトナムでは、1つの碗にご飯を入れ、上におかずをのせて食べます。スープも同じ椀です)食べてから、子どもたちが、自分の部屋の食器を洗ったり、預かったりしなければない。まだ子どもなので、いろいろ不便なことが起こっていました。   食器がよくなくなったり、壊れたりしていました。そして、各部屋のご飯の分をもらって来て、一緒に食べていましたが、大きい子は、もっと早く食べられるので、小さい子は、まだ食べていても、食べ物を先に食べられてしまう場合もありました。特に男の子の部屋の場合です。  今度新しく、一人ずつ使える食器を買ってきたのです。ご飯の時、一人一人の分をもります。自分の分は全部食べなければなりません。イノスの食器なので丈夫で、洗うことも簡単になりますね。「ダナンだよりー10年2月1日号より」
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卒業生、ビンさんはなくてはならない人材

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 ビンさんは「希望の村」開設当初からのこどもだ。小さい時から「希望の村」で日本語を勉強し、2005年7月には当時の所長さんらと共に、来日。里親さんの家などを訪問し、広く日本の里親と交流をした。小柄ながら、きびきびしたかわいい姿を覚えている方も多いでしょう。2006年、高校卒業を卒業し、「希望の村」を出て、大学受験の準備をしながらさくら日本語センターで、本格的に日本語の勉強も開始した。1年後英語貿易を専門として、3年制の専門学校に入学し、今年卒業する。その間に、日本語の勉強を続け、さくら日本語センターを修了した。  彼女はすべての「希望の村」の卒業生、子どもを知り尽くし、すべての卒業生、子どもから親しまれている。卒業生に集まってもらいたい時には、彼女に一言いえば、たちどころに集めてくれる。まだ体調が全快ではないタオさんの手伝いにも彼女はなくてはならない人材だ。ここ1年半以上、通訳に、子どもの手紙の翻訳に、その他駐在員のこまごました用事にも、快く手伝ってくれている。ことしのふぇみんツアーも、彼女なしには成功しなかった。  そして、今や、りっぱな「希望の村」の日本語の先生として活躍している。昨年駐在員が不在の時も、さくら日本語センターから派遣された先生の助手として、そして、誰も日本人がいない時には先生として、授業を受け持ってくれている。彼女の日本語はとても上手になった。将来の希望を聞くと、「ふぇみんの仕事をしたいです」と、嬉しいことを言ってくれる。
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